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前田・祇園 <龍潜寺> [物語]

そうだ!八幡いこう・・・

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♪~these are a few of my favorite things・・・~♪

という具合に簡単に来ることが出来なかった、1901年(明治34)当時、日本の製鉄技術を育成するために、はるばるドイツからやってきた男たちがいました。

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このお寺の近くに、ドイツ人宿舎はあったと言います。 失敗続きの製鉄所立ち上げに、3年経ってようやくめどがつき帰国と思っていた矢先、病に倒れ故郷の土を踏めなかったカールと言う異国の技師が、ここに眠っています。

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立派なお墓が建てられ、いまもご近所のどなたかが欠かさず墓守をされているとか・・・。 寒村に日本中から、そしてドイツから人が集まり、日本初の大製鉄所を造った。 その熱気は、ふつふつと置き火のように、いまもそこここにこの地を暖めている。

撮影:L.T. 2007年6月 <3枚とも>


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コメント 22

keykun

おはようございます。^^
近代製鉄の発祥の地。ですね。 ^^
確か~国営放送のその時歴史は動いた!で見た記憶が。
人の歴史と繋がるロマンを感じました。^^)
by keykun (2008-05-13 06:49) 

赤か毛

keykunさん、おはようございます。
早速のコメント有り難うございますm(_._)m
そうですか!?そのとき歴史は動いた!で、やってましたか!?
見たかったなぁ~
by 赤か毛 (2008-05-13 07:28) 

caramelpapa

見たね、そう言えば。
 
by caramelpapa (2008-05-13 08:43) 

お茶屋

一度は行ってみたい場所☆
とってもロマンが詰まっているように感じています♪
by お茶屋 (2008-05-13 10:19) 

つぼっち

誰でも知ってるあの製鉄所に、そんな歴史があったとは・・・
熱い話ですね。
by つぼっち (2008-05-13 12:25) 

赤か毛

caramelpapaさん、見られたんですか!?
by 赤か毛 (2008-05-13 14:35) 

赤か毛

お茶屋さん、こんにちは!
気が向いたら、一度いらしてください。
蒲田からですと、羽田からひとっ飛び、スターフライヤーがお勧めです。
でも、東京みたいにおしゃれなところは少ないですけど・・・
by 赤か毛 (2008-05-13 14:41) 

赤か毛

つぼっちさん、いつもご訪問有難うございます。
実は、溶鉱炉のように「熱い」この話し、私も今回はじめて知りました(^o^ゞ
洞海湾周辺は、つぼっちさんの街歩きに、ぴったりですよ!

by 赤か毛 (2008-05-13 14:44) 

薩摩飛脚

龍潜寺、懐かしいですね。
予備校時代に、近くの桃園球場で真夏の炎天下で草野球をしました。
試合後、祇園の同級生の家にチーム全員で押しかけて、美味しい
とんこつラーメンとビール数十本で宴会となりました。
しかも、ラーメンとビールは同級生の太っ腹なお母様がご馳走し
てくれました。
当然私たちは未成年だったのですが、極く当然のようにビールを
がぶ飲みしていました。まだまだ、おおらかな時代だったですね。

宴会後、私は数人で龍潜寺に向かいました。山門を抜けると
クローバーが絨毯のように生えている木陰の広場が目に入りました。
私たちは、クローバーのひんやりとした感触を楽しみながら、酔い覚ましにうたた寝をしました。真夏の暑い日でしたが、そこは
まるで極楽のように爽やかな風が吹き渡っていました。
31年前の思い出です。

その龍潜寺に、そのような悲しい歴史があったとは...


by 薩摩飛脚 (2008-05-16 19:48) 

二つ目草

時々通る道沿いの寺に、このような人物が眠っているというのは知りませんでした。
ドイツと日本とのコークスの質の違いなどで、ドイツの製鉄技術をそのまま移植しただけでは上手く行かなかったようで、
頓挫寸前でドイツ技術者たちは引き上げてしまったそうなので、
カールさんは無念の思いでここに眠ることになったのでしょうね。
残された日本人技術者が、日本に合う仕様に改良を重ねた結果、
その後の製鉄王国につながることになったのを、ここに残って見守ってくれたのかもしれません。
by 二つ目草 (2008-05-16 23:21) 

赤か毛

薩摩飛脚さん、お久しぶりです!
31年前の極楽のようなクローバーの感触、楽しかった草野球
気前の良い、太っ腹なお母さんの思い出が、写真に写っているようですね。
悲しい話も、日本の発展につながった記憶として、
ただの悲話に終わらない力強さを秘めています。
by 赤か毛 (2008-05-17 03:54) 

赤か毛

二つ目草さん、こんばんは。
ドイツ人技師団の帰国に際して、さまざまなドラマが隠されているような気がします。
私も、頓挫の経緯はどこかで読んだことがありますが、事実はどうだったのか・・・
今回のストーリーでは少しマイルドにしています。
最終的に、カールさんのお墓を今でも気にかけているご近所がおられる
ということは間違いないようで、このことが私にとって
技師の持っていた何がしかの「誠意」を信じたい気持ちにさせました。
どんな人だったのか、ちょっと興味が湧きます。

by 赤か毛 (2008-05-17 04:32) 

hobashira

龍潜寺(にったいさん)ですね。
子供の頃、この近くに住んでいて、夏はよく蝉なんかを採っていました。
ドイツ人技術者カール・キヨラー氏のことは最近になって知りました。
去年、佐木隆三氏の「宿老・田中熊吉伝」を読みました。
by hobashira (2008-05-17 14:13) 

hobashira

八幡、やはた、やわた、はちまん のhobashiraです。
どうやら、コメント出来たようです。
ここのブログを見ていると、北九州、八幡をテーマとしているブログも、
多いですね。 実はこう云うのを探していました。
今後、この「遠賀・洞海湾通信」をはじめ、「読んでいるブログ(RSS)」、
「お薦めのリンク」のブログもを訪問したいと思います。
今後、宜しくお願いします。
by hobashira (2008-05-17 14:32) 

benri

赤か毛さんこんにちは、benriです。
本当にご迷惑をお掛けしました・・・ m( _ _ )
赤か毛さんの御かげで、無事解決しました。・・(^^) 
 
龍潜寺、自分もテレビで見ました。ドイツ人カールさんの親戚か、
子供さんが、テレビに出て居た様な・・・やはり??記憶がアイマイ~ 。      
久しぶりの龍潜寺 若い頃、いつも仕事で前を通っていました。
お寺の中に入った事が無く、・・今回懐かしく拝見!!
by benri (2008-05-17 19:20) 

赤か毛

hobashiraさん、おはようございます。
無事書き込みが出来ましたね、ようこそ遠賀洞海湾通信にいらっしゃいました。
ご近所の方々は、にったいさんと呼ばれるそうですね。
日諦上人は、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れる明治初頭(7年)に
このお寺を建てられるのに、ずいぶん苦労されたようですね。
龍潜寺ではなく、にったいさんと呼ばれて、喜んで居られると思います。
しかし、水の神様である「龍」が潜む寺、というところも、とても
宗教を超え、自然を大切にする姿勢が伺われます。
佐木隆三氏の「宿老・田中熊吉伝」ぜひ読みたいと思います。

こちらこそ、今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。

by 赤か毛 (2008-05-18 15:09) 

赤か毛

benriさん、こんにちは。
無事解決してよかったです。こちらこそ、わかりにくい認証コードで申し訳ありません。
たぶん、多くの方が苦労なさっておられるのではと、心配になりました。
カールさんの御子孫が居られるなら、それはとても嬉しいことですね。
by 赤か毛 (2008-05-18 15:14) 

Keaton

nice&ご訪問ありがとうございました!

いや~・・・写真と一緒に歴史を学ぶって、かっこいいと思いましたよっ。オイラもただ写真撮ってるだけじゃなくて、いろいろ学ぼっと。 ありがとうございました~!!
by Keaton (2008-05-22 20:43) 

ふじくろ

八幡製鉄所にドイツ人が関わっていたこと、初めて知りました。(^-^)
by ふじくろ (2008-05-22 21:54) 

赤か毛

Keatonさん、ようこそ遠賀・洞海湾通信へいらっしゃいました!
律儀にご訪問いただき感謝です。
Keatonさんのバラの写真を見て、久しぶりに神代へ行きたくなり
先ほどネットで見ていたところです。
今バラフェスタがあっていて、ライトアップやコンサートなんかやっているようですね。
こちらこそ、宜しくお願いいたしますm(_._)m
by 赤か毛 (2008-05-22 22:25) 

赤か毛

ふじくろさん、ご訪問ありがとうございます。ようこそいらっしゃいました。
この頃、製鉄技術やポンプ、発電機など、ドイツの機械も輸入され
立派な建物の中に入れられて、大切に使われたようです。
手前味噌ですが↓下記ご覧ください。
http://chikuho-doukai.blog.so-net.ne.jp/2007-02-03
現在の発展途上国のように、人件費よりも機械や工業製品のほうが
高かったのが、明治時代だったのでしょう。
また、ドイツ人技師たちも、破格の報酬で招かれたとも聞いています。
by 赤か毛 (2008-05-23 13:33) 

kobayashi

来年1月久しぶりに昔住んでた八幡を歩いて回ろうと思ってたら、色々な八幡関係のブログにヒットしました。
龍潜寺の橘幼稚園に昭和30年頃ですか平野アパートから通っていました。
懐かしく拝見サせてもらいました~
中学が尾倉で洞海湾の水上生活の友だちがいて、本当に懐かしく胸が痛くなりました。
平野アパートから無くなった平野小学校跡、橘幼稚園、尾倉中学校と歩いて回ろうと思います。

by kobayashi (2017-11-02 23:37) 

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