若松バンド(3) <華麗な…しかし、か弱く守るべき建築たち> [建築]
明治20年頃、筑豊炭田の積み出しのために鉄道が引かれることになりました。当時は遠賀川の水運が主流で、芦屋がその積み出し拠点となっていました。鉄道がそれに変わるものとして芦屋に終着駅を、という話があったようです。この様子は、若松が誇る火野葦平さんの『燃える河』に活き活きと描かれています。(おすすめ)
いろいろと議論の末、若松が終着+積み出し駅となったため、塩田くらいしかなかった寒村に、全国でもいち早く近代化された街が出現しました。たとえば若松に下水道が完備されたのは、日本で2番目だそうです。
写真中央やや左のネオルネッサンス様式の建物が、旧古河鉱業ビル。地元の方々の貴重な運動の末解体を免れました。 その左の旧麻生商会若松支店ビルは、旧帝国ホテル(フランク・ロイド・ライト)と同様のスクラッチタイルを擁した、20世紀初頭のアールデコ様式の貴重な遺産でしたが、昨年暮れ解体されたそうです。北九州はまたひとつ、大事なお宝を無くしてしまいました。寂しい限りです。
今回の解体は、単体のお宝を失っただけではなく、写真のように隣り合った歴史的建造物が生み出す、街並みの持つ価値をも失いました。建築デザイン・技術史の見地から、貴重なサンプルであったと思いますし、それ以上に若松・北九州・筑豊の近代化を物語る重要な『連続的』『面的』文化遺産を失ったという点で、大きな喪失であったと思います。
現在、この写真のような風景はもう無いと言うことですが、私はまだ解体後の景色を見ていません。この風情はもう二度と再現できないでしょう。覆水盆に返らず…
若戸大橋をバックにしたナイスな写真に拍手!
by 風来坊 (2007-01-22 18:09)
風来坊さん!!
ありがとうございます!
撮影者に伝えておきます。これも彼の「気迫の一撮」です。
この後悲しい「一撮」も掲載予定ですが…
また、そのときもコメントくださいね!!!
by 赤か毛 (2007-01-22 20:47)
積出港としては
門司の考えもあったそうですね
若松は塩田があるくらい浅瀬ばかりで
港としては成り立たなかったとか
掘って埋めて若松が成り立ったとか
by caramelpapa (2010-02-22 16:46)
若松は、日本で始めて下水道を完備した、最先端の街だったと
聞いたことがあります。
積出港になったおかげですね。
洞海湾浚渫の図面を若築記念館(だったかな?)で見たことがあります。
by 赤か毛 (2010-03-02 21:57)