いつも、嬉しいコメント、ほんとにありがとうございます。
by
赤か毛
(2007-01-25 11:41)
1901年からの1世紀の間。あまりにも製鐵に依存し、為政者・市民のほとんどが、文化伝統に目を向けずにいたことのつけでしょう。100年の資本は、合理化の名の下、あっさりと1日で北九州市を見限りました。さてその後、ようやく北九州市の為政者は、自分たちが工業経済収入以外の何も育てていないことに気づきました。文化伝統は、工業化の名の下に江戸時代以前のものは全て断ち切られ、継承されるものはほとんど消えうせました。まさにそれこそが、市の文化や歴史を語る重要なものであったのです。為政者は付け焼刃で、多くのもの多くの名物を市のアイデンティティとしたい考えですが、知名度もノウハウも簡単には育ちません。まさにローマは一日してならずです。今何か行いたければ、今育ちつつあるものを掘り下げ後の100年を育て始める粘り強さが重要だと思います。
by
SH
(2007-10-09 20:43)
北九州に遺産と呼べる建築物があることを知る人間は、そう多くないのではと思います。そこで育った私でも、このブログで初めて知りました。
このような建築物を残して行くには、市民と行政が一緒に考えていかなければいけないことでよね。
始めの一歩はあるのでしょうかね。
by 風来坊 (2007-01-24 10:42)
風来坊さん
おっしゃるとおりです。私も最近認識を新たにしたのですが、維新後の富国強兵策下での一大国家プロジェクトだった、官営八幡製鉄所の洞海湾への誘致と近代作業の育成のメイン舞台だったわけですから、北九州は近代化遺産の宝庫と言えるそうです。
この時代の文化を継承し未来に伝えてゆくことは私たちの責務かも知れません。同時に、この遺産を有効に活かして、観光産業や環境産業を育成してゆくことも十分考えられると信じています。
このブログもそう言う展望を(おぼろげですが・・・)もって開設しました。
その趣旨からすると、風来坊さんがそのようにおっしゃってくださることは、この上なく嬉しく思います。
また、お薦めリンクにある北九州向上委員会の庵田さんなどは、早くからこのことに着目され、苦労されて居られますが、昨秋「北九州の近代化遺産」というご本を上梓され、注目を集めている様です。
『始めの一歩』は、それぞれの方が、気がついたときに、できることから始める、というスタンスで行きながら、ある時連携が生まれ、ネットワークとなって大きなうねりとなってゆくことを願います。
庵田さんとは直接の面識は有りませんが、そのような形で今後連絡を取ることになるのではと、勝手に思っています。
その他の動きもたくさんありますので、このブログでご紹介してゆきたいと思っています。どうぞ宜しくお願いいたします。
by 赤か毛 (2007-01-24 13:02)
風来坊さん
↓このサイトで、上記の庵田さんのインタビューがご覧になれます。
http://kanmontuusin.morrie.biz/item/758
by 赤か毛 (2007-01-24 14:43)
紹介して頂いた庵田さんのインタビュー記事、興味深く読ませて頂きました。
工業都市としてのイメージしかなかった故郷の別の一面を知ることができ、すこし故郷が誇れるようになったかな。
by 風来坊 (2007-01-25 09:47)
風来坊さん!
早速読んでいただき、ありがとうございます。私も、一昨年以来北九州のことを調べて行くうち、目から鱗のことばかりで、自分の身の回りで知らないことがいっぱいあったことに、反省と同時にすこしわくわくしました。
街の発展には(北九州の場合は再生でしょうか)「物語が必要」という考え方を私も持っていて、今後の北九州に歴史や文学・映画といった分野もとても重要と考えています。
また自然景観という点でも、洞海湾がかつてとてもきれいな入り海だったことや、遠賀川を含めてこの地域が古代史の重要な中心地区になっていたことを、もっと実証してアピールしていかなければならないと思います。
お時間がありましたら、以前お知らせした、遠賀湾の話http://www.ne.jp/asahi/tokfuruta/o.n.line/nigitadu.html
や、火野葦平さんの「燃える河」
http://www.geocities.jp/book_of_tikuho/15moekawa.htm
など、イメージが膨らんで楽しくなります。
いつも、嬉しいコメント、ほんとにありがとうございます。
by 赤か毛 (2007-01-25 11:41)
1901年からの1世紀の間。あまりにも製鐵に依存し、為政者・市民のほとんどが、文化伝統に目を向けずにいたことのつけでしょう。100年の資本は、合理化の名の下、あっさりと1日で北九州市を見限りました。さてその後、ようやく北九州市の為政者は、自分たちが工業経済収入以外の何も育てていないことに気づきました。文化伝統は、工業化の名の下に江戸時代以前のものは全て断ち切られ、継承されるものはほとんど消えうせました。まさにそれこそが、市の文化や歴史を語る重要なものであったのです。為政者は付け焼刃で、多くのもの多くの名物を市のアイデンティティとしたい考えですが、知名度もノウハウも簡単には育ちません。まさにローマは一日してならずです。今何か行いたければ、今育ちつつあるものを掘り下げ後の100年を育て始める粘り強さが重要だと思います。
by SH (2007-10-09 20:43)
SHさん、ようこそ洞海湾通信にいらっしゃいました。
北九州には、いろんな歴史の積み重ねがあり、掘れば掘るほど
味のある地域だと思っています。
鉄・砂糖・アジア・西洋とのかかわり・近畿地方との関係等
いろいろな切り口で、それぞれの物語が出来てゆく厚みがありますね。
おっしゃるように、付け焼刃ではなく、じっくりと良さを観察し
育ててゆく「愛情」が何よりの推進力かと感じます。
これからもどうぞ宜しくお願いいたします。
by 赤か毛 (2007-10-10 01:29)