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帆柱山 <君の名は・・・> [山]

いつも、街の中を探偵のごとく、いろいろなネタを探して動き回っているような気がしますので、今日はもっと大きな視点で眺めて見ましょう。

急な階段を上りながら、少しずつ変わる景色を楽しむ。 視界が開けると、変わらないなだらかで美しい皿倉の峰。

右手には今日の主役の帆柱が見えるはずなんですが・・・、まあケーブルは帆柱ケーブルと言うことですし、この一帯を「帆柱連山」というらしいので、十把ひとからげ的ですが、強引に話を進めます。 何かの本で読んだのですが、その昔(いつの時代かも思い出せないので、いい加減ですね)、情報の伝達が高い山を介して行われていた、ということです。 それで、なんで帆柱山が主役なのかと言いますと、帆柱は、一説には「火柱(ほばしら)」だというのです。 つまり、「のろし」によってかなり速い速度で情報が伝達できていた。 それも、早ければ弥生時代、遅くても600年代には、朝鮮半島との緊張関係を大和方面まで伝える手段として、防人が利用していた・・・そのような話だったと思います。 今まで、神功皇后の帆柱伝説による帆柱山のイメージが、「のろし」のための『火柱山』だったかもしれない、名前の由来がゆらいでます(^o^ゞ

そうやって見てみると、皿倉から視線を左にうつせば、なるほど

若戸大橋の向こうに見えるのは、下関の山々。 

ロープウェイのある「火の山」、ここにも「のろし場」があったということです。 「のろし」は烽火と書いたり、狼煙と書いたりします。 烽火の場合はまさに火の峰、火の山ですね。狼煙と書くのは、煙を出すのに、狼の糞を集めて焼いたからだそうです。 英語ではBeacon。ボストンにあるBeacon Hill ってそういう意味だったんですね。燻製のベーコンも関係あるんでしょうか!?

さらに、目を左に移すと、皿倉の向かいに高塔山・石峰山が、こんなに近くに見えます。 防人は半島からの来襲に備えたわけですから、海側にあるこの若松の山々も狼煙の伝達に使われたのでしょうか? そう考えると、山々をつなぐネットワークが古くから存在していた、新たなイメージが湧いてきて面白いです。景色の見方が変わりますね。

洞海湾も忘れずにちゃんと見なくては・・・、枝光泊りへ向かう船が見えます。↓

さらに、目を左(つまり西方向)に移すと、河桃団地の一角でしょうか。 この近くの花尾山も天然の要塞として古くから注目され、麻生氏の最初の築城後が残っています。

北九州、奥が深いですね。

撮影:2007年6月 L.T. <7枚とも> 


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CP

先々週は皿倉山、先週は高塔山に登りました。

皿倉、昼間に登るのは久しぶり、山頂は工事中でしたが、下関から遠賀岡垣まで見えて、初めて登った連れが感激していました。

帆柱のお社、初めて気がつきました。
by CP (2007-06-20 23:56) 

専属カメラマンB

赤か毛さん、私が勝手に撮った写真を見事な物語に仕上げて頂き、
恐縮しています。

それにしても、火柱の件は初めて聞きました。
調べると、まだまだミステリアスなことがどんどん出てきそうで、
大いに楽しみです。

それにしても、撮影をしていると北九州の奥行きの深さが、まじまじと
感じられます。

北九州って、ほんと「いーとこ」ですね!
by 専属カメラマンB (2007-06-21 00:14) 

皿倉山、これも北九州のシンボルですね。
あそこの夜景が久々に見たいです。
のろしのお話。非常に興味深かったです。
なるほど!ってかんじでした。
遠い昔には山は重要な存在だったのかも知れないですね。
by (2007-06-21 00:34) 

keykun

耐震構造も影響するのか、街頭の風景が日本全国画一化してきますね。
地形だけが、往時を偲ぶのかも。  ^^;
歴史的俯瞰が、街の理解の早道ですね。 
何時も感心します。 ^^;
by keykun (2007-06-21 00:48) 

風来坊

小学校の時、2回ほど帆柱だったか皿倉だったか分かりませんが、遠足で登りました。学校から出発して、お昼は山頂で食べました。
しかし、大人になってよくよく見ると、本当に遠いのです。小学生がどうしてあそこまで行けたのかと思うほど遠いのです。それも山道。
山のなかで迷って、道なき道を級友たちよ「先生!先生!」と叫びながら登ったこともあります。やっと追いつくと先生が「あんた達の声は聞こえちょった」というじゃありませんか。「じゃ、返事くらいしろよ!」とめちゃ頭のきたこと覚えてます。だって本当に怖かったんだもん。

今でも山を見るたびに、なんであそこまで行けたのか不思議で不思議でしかたない。昔の子供は元気?!
by 風来坊 (2007-06-21 10:07) 

tadaatsu

階段、坂道、カーブなど、動きがあり、シークエンスが変化する空間、町並みは楽しいですよね。
by tadaatsu (2007-06-21 11:40) 

jack_s 

LTさん、超なつかしい写真ありがとうございます。この角度の皿倉山、竹林のむこうの斜面の住宅地、まさに私の高校時代が蘇ります。赤か毛さん、何気なく河桃団地と書かれているところがにくいですね。カメラマンのBさんとともに、彼方の青春の想い出が,ユラユラときらめき浮かび上がってきます。
by jack_s  (2007-06-22 11:07) 

薩摩飛脚

 飛脚もこの風景は感慨深く、郷愁を呼び起こしてくれます。
 確か高校二年の夏休みに、幸神から登ったところにある自動車学校から河桃団地に住む親友の家まで歩いたことがあります。
 急な坂道を登り峠を越えて下り坂にかかって少し経った場所に、洞海湾や若戸大橋を見渡せる場所がありました。
 その光景を眺めながら歩いていると、進行方向の急坂を脚の曲がった男が煙草をふかしながら登ってきています。
 約0.5秒後、飛脚はその男が「今から歩いてそこまで行くぞ」と
自動車学校から電話をかけた親友であることが判明しました。
「なんやお前、どこの不良かと思ったやんか!」
「俺も暇やったき、迎えに来たんたい!」
そんな会話を交わした後、二人は河桃団地まで歩いて行きました。
 そんなことを思い出させてくれる写真です。
by 薩摩飛脚 (2007-06-22 16:39) 

himajiji

烽火のお話はとても興味深いですね。

このブログにお邪魔するようになって
仕事を通して「自分も情報を発信できる立場にあること」を
再認識しました。

先日黒崎の「街の歴史研究伝道者?」と呼ばれるようなある方が
お亡くなりになったそうです。直接の面識は無かったのですが、
昔縁起物の凧を戴いた事があります。

そんなこんなで微力も微力ですが少し黒崎の勉強を、と
最近思うようになりました。
by himajiji (2007-06-22 22:33) 

赤か毛

CPさん、皿倉からの眺め、まさに360度に近く、絶景ですよね。
お連れ様が感激されるのも無理ないと思います。
私もしばらく登っていませんが、景色だけでなく、歴史としても面白そうです。
by 赤か毛 (2007-06-23 05:13) 

赤か毛

専属カメラマンBさん!いつもすばらしい写真を有難うございます。
火柱という言葉の響きがまた、なんともぐっと来ますよね。
帆柱というときは、なんだか牧歌的な、しかし、嵐の後の安堵感のようなイメージですが、「火柱」はこれから戦闘体制に入ってゆくような、緊張感と高揚感が湧き上がってきます。

「北九州の奥行き」、いい表現ですね。
目に見えているものと、その背後にある歴史や、文化や、他の地域との関係などが重奏のように絡んできて、面白いです。

北九州、これからも一緒に見詰めて行きましょう!
by 赤か毛 (2007-06-23 05:21) 

赤か毛

jallさん、おはようございます!
ほんとに、皿倉・帆柱はシンボルと言うか、よりどころと言うか、大きな遊び相手というか…、小さな頃から、見上げたり、登ったり、そして、私が通った小中学校の校歌に入っていたので、歌ったり、欠かせない存在でした。

縄文の頃から、尾根伝いに人々が移動した、独特の道の存在も言及されていますね。現在の「山伏」の祖先たちの道だそうです。
この辺りでは、英彦山がそのひとつですね。

jallさんに、特別に「皿倉の夜景」お見せしましょう!↓こちらです。
http://view.adam.ne.jp/setoy/pic/kitakyu/sara.html
by 赤か毛 (2007-06-23 05:34) 

赤か毛

keykunさん、いつもnice!を有難うございます。
おっしゃるとおり、もっと建物の景観として、個性をもてる町並みを作り出すことが望ましいですね。私もその分野の専門として身につまされます。

でも、街の記憶を振り返って、そこから何を見出すかという作業から始めないと、なかなか一足飛びには到達できないような状況です。
by 赤か毛 (2007-06-23 09:45) 

赤か毛

風来坊さん、こんにちは。
子供の頃の登山、ほんとうに魅力的ですよね。
私は皿倉は中学のときの初日の出に登ったのがとても印象的です。

風来坊さんのような経験は、英彦山に登ったとき、親とはぐれて同じようなことになりました。小学校の低学年だったと思いますが、なんとかたどり着けてとても安堵した記憶があります。

高校のとき、なぜか一学年全部450人で皿倉に登りましたが、あれは遠足だったのでしょうか!? なんだか、小学生気分で、みんなでアニメソングメドレーで盛り上がりながらの登山でした。
by 赤か毛 (2007-06-23 09:52) 

赤か毛

tadaatsuさん、こんにちは。北九州は山と海が近く、工業都市のイメージが強いですが、自然景観も豊かな街です。
特に山すそから中腹に至るエリアは、景色がドラスティックに変化して面白いですよ。山頂からの眺望も、長崎や函館に並んですばらしいものがあります。
by 赤か毛 (2007-06-23 10:05) 

赤か毛

Jack_sさん!お久しぶりです。高校時代の彼方の思い出、呼び覚まされたようで良かったです。この角度からの皿倉は、なにか遠くを見ている大人の男、って感じがしていいですよね。
L.T.さんの写真、いいでしょう!!楽しんでください。
by 赤か毛 (2007-06-23 10:22) 

赤か毛

飛脚さん!なんだか映画の1シーンを見ているような情景、この街角に繰り広げられる、何気ない日常が、とても大切なものに見えてきます。
目の前にあるものの美しさ、何気ない日常のかけがえのなさが見えてきたとき、初めて、何が豊かなのかが見えるような気がします。

飛脚さんは、とてもいい親友にめぐり会えて幸せですね!
この写真を共有できる楽しさは、かけがえのないものです。
by 赤か毛 (2007-06-23 11:10) 

赤か毛

himajijiさん、先日は一宮神社の写真をお送り頂きありがとうございました。
himajijiさんの情報発信、楽しみにしています。無理のない範囲でお願いいたします。 黒崎の歴史の伝道者さんは残念でしたね。御存命の間にお会いできれば、黒崎のいろいろなお話が聞けたでしょうに…。 黒崎は私にとっても思い入れの深い町ですので、今後も取り上げてゆきたいと思っています。 himajijiさんの情報もあわせて、複合的に黒崎のよさが炙り出せると信じています。
どうぞ宜しくお願いいたします。
by 赤か毛 (2007-06-23 11:25) 

赤か毛

krausさん、いつも御訪問&nice!ありがとうございます。
by 赤か毛 (2007-06-23 20:46) 

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