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高見神社 <昭和の匠> [建築]

北九州の神社の由来をたどって行くと、神功皇后と熊鰐、そして朝鮮が縁起となっていることが多いようです。 高見神社はその色彩が特に強く、神功皇后自らが「洞海湾岸高見の地に建立した」とされています。中世においては麻生氏・小早川氏、近世には黒田氏の庇護を受けながら、「高見大神宮」と呼ばれ、北九州(遠賀・鞍手)一円の信仰の中心となっていったようです。

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面白いのは、明治になってその庇護の主が、官営の八幡製鉄所を中心とした信奉者の集団へと変遷してゆくことです。 まさに「企業城下」と言われる北九州ならではのことと思います。

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官営、つまり当時の明治政府が主導した大事業をなんとしても成功させたい、という願いがこの神社の庇護と社殿の造営に見て取れます。 小ぶりながら引き締まった外観と、細部まで神経を注いだディテールの終結が、凄みを感じさせます。

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しかし、じつはこの社殿建築は、官営だった八幡製鉄所が、昭和八年株式会社化されることになったことを契機に行われた、昭和の大造営だったのです。

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明治29年、官営製鉄所が建設されるに伴って、一時尾倉へ遷移されたものを、再度高見の地にもどし昭和の匠による大々的な国家事業、総檜「流れ造り」の社殿として造営されました。 当時、内務省神社局という役所があって、局の技師や考証課長などのお役人が直に設計・監理に当たりました。 畳大の設計図が70枚にも上ったそうです。

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樹齢千年を越す台湾檜が使われ、他に類を見ない質・規模の、昭和を代表する本格的な木造建築といわれていますが、一方その建築以前に内務省の担当技師は、鎮守の杜作りを第一に計画し、高低差の大きい緑の空間の中に、注意深く表参道や鳥居、そして社殿群を配置しました。 一級の造園事業でもあったといえます。 野鳥の宝庫と言われる現在の豊かな森は、その計画の果実です。 当時「バリアフリー」という概念がなかったことは唯一悔やまれるところですが・・・。

撮影:2008年5月 L.T. <6枚> L.Q.<4枚目社殿正面>


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コメント 14

お茶屋

まさにすばらしい建築&造園なんですね☆
でも、確かにその頃はバリアフリーの概念は
無かったかもしれませんね^^;
by お茶屋 (2008-09-01 09:43) 

keykun

おはようございます。^^
見事な空間ですね。
当時の企業家の意識の高さを目の当たりにします。^^

by keykun (2008-09-01 10:50) 

つぼっち

静かな佇まいの神社が、当時の社会情勢とつながっていたところに、
重みを感じてしまいました。
by つぼっち (2008-09-01 12:15) 

二つ目草

ここはまだ行ったことがありませんでしたが、由緒ある神社だったのですね。
以前、鷹見神社の記事の時にも書いた気がしますが、北九州市内には、「タカミ」神社という名の神社が多いですね。
元は、やはり神功皇后が絡んでくるのでしょうか。
興味がそそられます。

建物だけでなく、この空間のプロデュースに力が入れられているというのであれば、ぜひ訪ねてみたいです。
by 二つ目草 (2008-09-01 21:36) 

赤か毛

お茶屋さん、さっそくありがとうございます。
バリアフリーは、広義にとらえると、当時は人の介助が社会のバリアを取り除いていた面が大きいと思います。

by 赤か毛 (2008-09-02 00:01) 

赤か毛

keykunさん、そうですね。戦後の「科学」「合理性」優位の時代には、考えにくい発想ですね。特に国が主導して宗教施設を設計・建設するなど、ありえません。しかし、そのような「頭でっかち」なものを超えた、意気込みのような意識の高さを感じますね。
by 赤か毛 (2008-09-02 00:10) 

赤か毛

つぼっちさん、ありがとうございます。
まち歩きで、目に止まったものの後ろには、少なからず広い背景が横たわっているものですね。これだから、街は楽しいのです。
by 赤か毛 (2008-09-02 00:12) 

赤か毛

二つ目さん、こんばんは。
「タカミ」という言葉の背景、突っ込んでみたいですよね。北九州は、噛めば噛むほど味が出る、本当に面白いところです。もっともっと光を当てて、みんなが楽しめて誇りに出来る街になるといいと思います。 
by 赤か毛 (2008-09-02 00:16) 

takaki-i

高見神社懐かしいね・・・
嫁さんの家がこの近くでした。
by takaki-i (2008-09-02 15:05) 

赤か毛

takaki-iさん、お久しぶりです。
奥様のご実家がお近くなんですね。このあたりはいい住宅街ですよね。
今は八王子に住んでいる私の高校の同級生の奥さんも、高見出身と言っていましたので
ひょっとしたら、ということもあるかもしれません。
世の中狭いですね!?というか、このようにお知り合いになれるという
ネットの威力を改めて感じます。
by 赤か毛 (2008-09-02 19:05) 

hobashira

高見神社、今の地に移転して80年近くでしょうか?
貫禄がありますね。「バリアフリー」の概念、当時は無かったでしょうね。
七条辺りから車で本殿までいけますが、
昭和40年代のはじめまで? 神社の直ぐ横に「高見ホール」(製鉄・親和会の施設)があったのをご存知ですか?
ハニーハワイアン等の演奏でダンスパティーが、よく行われていました。
2、3回行ったことがあります。 歳バレバレですね。
by hobashira (2008-09-04 17:53) 

wanwanmaru


高見神社って名前は聞いたことあるけど、行ったことはない
です。

それにしても凄く立派な神社だったんですね。建築も由来も。
そういう背景を知ったうえで訪れるのもまた面白そうですね。

今度行ってみることにします。(^^)

by wanwanmaru (2008-09-05 22:46) 

赤か毛

hobashiraさん、こんにちは。高見ホールの存在は知りませんでした。
40年ごろまであったということは、かなり昭和初期の匂いがしたんでしょうね!?
・・・とここまで書いて、興味津々。
ちょっとネットで探ってみると、「北九州最古のダンスホール」という
見出しが出てきました。
http://www.tvq.co.jp/special/great/
↑三つの記事が書かれていますが、一番下に高見ホールに纏わるバンドのお話。
ハニーハワイアンのバンドマスターは83歳だそうですね!
またまた興味がわいてきます。
北九州、奥が深く面白いですね。
貴重な情報ありがとうございました。
by 赤か毛 (2008-09-06 14:53) 

赤か毛

wanwanmaruさん!こんにちは!!
ぜひwanwanmaruさんの目でみた高見神社のショット、拝見したいです。
このエリアは、東北九州と西北九州の接点のようなところなので
お互いの微妙な文化の出会う、融合する場所のような感じがします。
加えて、製鉄という当時で言う「グローバル」な企業体が入ってきて
全国区にとどまらない、国際的な広がりを持つようになりました。
不思議で魅力的なエリアです。
by 赤か毛 (2008-09-06 14:59) 

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