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岡田神社 <熊族の守り神> [物語]

長い商店街をぬけると、そこは神代の国だった。

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今日は9月6日、96で黒の日、ということで黒崎の日だそうです。そこでいろんなイベントが催されていることを、今日知りました。 残念・・・もっと早く知っていれば、黒崎特集でも・・・、そこでせめて黒崎の代表的なお宮さんを紹介します。 

商店街の雑踏を抜けて山手通りに出ると、普通の町並みのビルの間に、この岡田宮の鳥居と階段があります。前々回にお伝えした黒崎祇園三社のひとつです。

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こじんまりとした変哲のない普通の神社に見えますが、神社HPには「御鎮座二千六百年」と誇らしげに謳われています。

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二千六百年前といえば、そう、日本史上初代大統領・・・いや初代天皇と言われる「神武天皇」が即位した時期です。 (即位の日:旧暦1月1日=2月11日=建国記念日ですね) その神武天皇が日向(宮崎)から東征(近畿征圧)に向かう途中、この神社に寄ったという、ほんとに由緒あるお宮なのです。境内にはそのことを詠った柿本人麻呂の歌碑がありました。

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お宮自体は、そのころ洞海湾岸の貞元(現在の熊西電停のあたり)にあって、熊族の始祖を祀る土着の神社だったそうです。 神功皇后は、14代仲哀天皇の后ですから、初代神武天皇東征より前からあったということで、前回特集の高見神社よりさらに800年以上古いことになりますね。 黒崎にある「熊手」「熊西」といった地名は、この熊族の名残でしょうか。 岡の県主「熊鰐」の先祖でもあるのでしょう。

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かなり土着性の強い神社といえます。 また高見神社とは対照的に、なんとも牧歌的な境内がそのことを物語っていますし、逆に普通であることの親しみと凄みを感じます。 さりげなく猿田彦を祀る石碑などもありました。

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あるいは、軒の下に顔を出しているのは、神武天皇東征の道案内をしたヤタノカラスでしょうか?

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なにげなくて、古事記・日本書紀のキャストが満載の味わい深い境内ですね。 一方、御神木はそれなりに立派ですが、まだ若い、という印象は免れません。

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それもそのはず、貞元から現在の位置に写されたのは、江戸時代黒崎城の築城に合わせてとのこと。 しかし、それ以来、陸海の交通の要衝にある古宮として、熊族の末裔たる地元の民を始め、参勤交代の多くの大名たち、文人墨客にも敬仰を寄せられた産土神です。 また、ヤタノカラスにしても猿田彦にしても、「道案内」という共通の役を持ち、宿場町「黒崎」には心強い存在だったと言えましょう。

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蛇足ですが、境内にはこのような土俵があります。 拙者赤か毛が小学生の頃、秋になると八幡区内の学校対抗の奉納相撲があり、筒井小学校代表として参戦しました。 昭和40年代のことです。 土俵が少々荒れているようですが、今はもうやっていないのでしょうか・・・。

撮影:R.T. 2008年7月 <9枚とも>


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コメント 24

お茶屋

本当に由緒あるお宮なんですね☆
勉強になりました!
by お茶屋 (2008-09-06 23:37) 

寂光

いつもながらしっかりとした記事で感心いたします。
私のように思い付くことを書き散らかしているのと違います。
しっかりと調べ書くという気力と能力のない私には
とても真似することが出来ません。
最近活字と触れ合う機会がとても少ないので、
活字欲を満たしていただいています。

by 寂光 (2008-09-07 09:23) 

つぼっち

荒れた土俵が物悲しいですね・・・
by つぼっち (2008-09-07 10:19) 

赤か毛

お茶屋さん、こんちには。いつもすばやいコメントありがとうございます。
九州は大陸や半島と近かったので、古いものがたくさん埋もれています。
by 赤か毛 (2008-09-07 13:19) 

赤か毛

寂光さん、気力を充実されるのは、ほんとに辛いときがあります。
去年もそうでしたが、今年も夏は仕事上の決め事が重なって
気力を消耗し、ブログ更新が滞ってしまいました。
10月までは何かと込み合っているので、うまく続けられるかどうか・・・
でも、寂光さんのように励ましていただくと、また気力がわいてきます。
ありがとうございました。
by 赤か毛 (2008-09-07 13:23) 

赤か毛

そうなんですよ、つぼっちさん!
もう一枚土俵に近づいたショットがあるのですが
荒れた様子がもっとリアルに見えるので、載せられませんでした。
時は流れてゆくんですよね。
でも、ひょっとしたら、大会前に毎年整備しているのかも・・・(^o^;
by 赤か毛 (2008-09-07 13:25) 

hobashira

岡田神社、最近までそんなに由緒ある神社だとは知らなかった。
今年の節分の時行って、境内に「三条実美歌碑 」を見つけました。
 「玉ちはふ 神し照らせば 世中の ひとのまごころ かくれやはする」
説明文に
三条実美や東久世通禧などの五卿は慶応元年(1865)正月15日に黒崎に上陸。3日間滞在した後、移転先の大宰府に向かった。いわゆる“五卿落ち”ですね。
密かに岡田宮に参拝した時、詠んだ歌だそうで、護衛に西郷隆盛がついていたとか?
by hobashira (2008-09-07 15:48) 

jall

黒崎の日ですか。。。
初耳です。そんな日があったとは!
いやはや、勉強になりますぅ。
by jall (2008-09-07 19:09) 

赤か毛

hobashiraさん、こんばんは。
長崎街道のなかでも栄えた黒崎の宿、いろんな著名人がこの街を舞台に
活躍したようですね。
幕末も長崎との往来の中、いろいろなドラマがあったのではと想像しています。
by 赤か毛 (2008-09-07 20:23) 

赤か毛

私も今回偶然に知りました。
なんとか賑わいを取り戻したい、地元の方々の願いが伝わってきます。
by 赤か毛 (2008-09-07 20:25) 

風来坊

初めての子供のお宮参りを、この岡田神社でしました。
この神社の存在は子どもの頃から知っていましたが、こんなに歴史があるものだとは全然しりませんでした。
今の時代なら小学校の総合学習の時間なんかに「自分の町の歴史を知ろう!」なんて課題で教えてもらってるかも。
by 風来坊 (2008-09-07 22:06) 

keykun

こんばんは。^^
神代の時代からの連綿とした史実の世界。^^;
京都。奈良だけが古都では無いですよね。考えなくても・・・。^^;;
最後の奉納相撲の土俵でしょうか?
私の中でも~祭りと相撲も懐かしい記憶です。^^

by keykun (2008-09-07 23:30) 

赤か毛

風来坊さん、おひさしぶりです。
お子さんのお宮参りでしたか!?きっとご利益があったことでしょう。
私も、いままでこんなに古いお宮さんだったと、改めて知った次第です。
身の回りに、大切にしなければならないことが埋もれているんですね。
by 赤か毛 (2008-09-08 08:27) 

赤か毛

keykunさん、おはようございます。
そうなんです。北九州はいろいろな古いお話が埋もれてしまって
掘り起こすのが大変な分、これからいろいろ出てきそうで
楽しみでもあります。
keykunさんも、奉納相撲、やりましたか!?(^o^)/^
by 赤か毛 (2008-09-08 08:29) 

響

昔、黒崎の上の鳴水に住んでいたので
初詣はかならずこの岡田神社でした。
9月6日が黒崎の日だなんて市民はほとんど知らないと思います(笑)
by (2008-09-09 18:00) 

赤か毛

響さん、こんばんは!
そうなんです。私も今回はじめて知りました(^o^;
でも、何とか盛り上がってほしいものです。
そういえば、一度鳴水の貴船神社に行った記憶があります。
綺麗な境内だったように覚えています。
by 赤か毛 (2008-09-09 19:45) 

jack_s

岡田神宮はものごころついたころから、高見神社は魂を最高に燃焼していた頃、当たり前のように日常に存在していたため、いつから、なんのために、誰が、どんな経緯で、つくって、守って、どんなご利益をもたらしているのか、考えたこともありませんでした。
生まれ育った筒井・熊西のかつての長屋の横に、御手洗公園があったように。
読めない漢字で、便所みたいで、でも変とかなんなんだろうとかそんな疑問もなく、小さな人間なんかものともせず存在していた。
赤か毛さんに解説してもらって、いまさらながら、凄いなあ、としみじみ思いました。
知らないうちに、いろんな凄いものに囲まれて、守られて、生きているんでしょうね。
目から鱗です。
by jack_s (2008-09-12 22:54) 

赤か毛

jack_sさん、お久しぶりです。
身の回りには、大切なものがたくさんあることに
ある日気が付くことがあります。
「おてあらい」ならぬ御手洗(みたらい)公園は、実はその昔
信州の諏訪神社を分祀した、諏訪神社があったところだそうです。
http://nobyama.com/ichinomiya.html
松林があり諏訪山とよばれ、御手洗清水というおいしい湧き水が出たとのこと。

昭和15年に、区画整理のため王子神社と合祀
さらに、昭和25年に大歳神社と合祀され、現在の一宮神社となりました。
この熊西・山寺あたりは、古代から住みやすい土地だったらしく
昭和初期までは、民家が点在し、その周囲の川や水田で蛍が乱舞するような
美しい里だったと聞きます。
http://www.ktqc01.net/nisi/kncc/tiiki/furusato/yamadera/index.html

jack_sさんが、現在は信州にあって諏訪大社のお祭りに熱中するのも、大きな何かに導かれてのことかと想像します。

by 赤か毛 (2008-09-13 14:05) 

wanwanmaru

こちらも随分ご由緒のある神社なんですね。高見神社と同様名前
くらいしか知りませんでした・・。(^^ゞ

普段何の気なしに行っている神社仏閣ですが、しっかりその歴史
を知ると面白いというか、ありがたみが湧くというか・・。

そんな気がしました。
by wanwanmaru (2008-09-13 23:32) 

ばん

九州ですか・・・帰りたいですね~。三年位田舎には帰っていません。仕事では宮崎と福岡にはいきましたが。
by ばん (2008-09-15 11:38) 

赤か毛

wanwanmaruさん、おはようございます。
私は宗教家でも何でもありませんが、古い言い伝えの積み重ねが
大切な物語を昇華させて、宗教になっている部分に興味が湧きます。
日本の神道は、その意味でとても土着性が強く感じられ
土地土地の人たちの大切にしてきた何かを伝えているような気がします。


by 赤か毛 (2008-09-15 14:42) 

赤か毛

ばんさん、ようこそ遠賀・洞海湾通信へいらっしゃいました!
ばんさんも九州のご出身ですか?
全国の舞台でご活躍のようですね。
たくさんの笑いと幸せを多くの人たちに届けてください。
by 赤か毛 (2008-09-15 14:45) 

maru

こんにちは。
コメントありがとうございます。
成れないブログで、コメントを入れるのに、戸惑いました。
やっと入れられそうです。
山手のある神社でしょうか、岡田神社だったか、定かじゃないのですが。
そこであれば、前の山手の通りはよく通りました。
間違っていたら、すみません。
本当に由緒ある神社が黒埼にあるとは、知りませんでした。
大変詳しく調べられての記事、感心しています。
私などいい加減に書いています。紹介に成りませんし、ただ行ったと言うだけですね。ちょっと反省です。
頑張って下さいね、ありがとうございました。
by maru (2008-09-15 17:03) 

赤か毛

maruさん!ようこそ遠賀・洞海湾通信へいらっしゃいました。
このコメント欄ときどき入りにくいというお知らせをいただきます。
ご迷惑をおかけしたかも知れませんm(_._)m
岡田神社は山手通りの神社です。間違いないでしょう。
maruさんのレポートにもありましたように、北九州・遠賀地域は
古代からの遺跡や物語が多く残っています。
うまくアピールしていないだけで、もったいない気がしますが
逆に誇大広告にならないで、自然に身近にある、という良さもあるかも知れませんね!?
これからもお気軽にお立ち寄りください。
こちらこそありがとうございました。
by 赤か毛 (2008-09-15 22:27) 

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