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堀川 <洞海湾へ注ぐ> [川]

寿命の唐戸に始まり、全長三里・12キロの堀川は、本城を過ぎて洞海湾へ注ぎます。 かつてこの辺りには陣の原村と本城村を結ぶ渡し場があったそうですが、明治の終わり頃に木橋が架けられ、渡し舟は無くなったと言うことです。旧3号線(現199号線)が堀川を渡るところに架かる本陣橋がそれです。本城の「本」と、陣の原の「陣」の字をとって命名されました。 今は、コンクリートの立派な橋ですが、大正13年の時の旧橋柱が、現在の橋のたもと保存されているそうです。 海水と淡水が入り混じり、葦が生い茂っていたので、魚も多く漁師小屋が点在していたそうです。

正確に言いますと、写真は本城橋で、ここが正式な洞海湾と堀川(新々堀川)の境界となります。このアングルは、洞海湾を背にして、折尾方面を見ています。左が陣の原・黒崎、右が本城ということになるわけですが、ちょっとヨーロッパのどこか、ドイツやハンブルグの河口の街、って感じしません? (^o^; って、言い過ぎですか!?

撮影:R.T.2007年1月


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堀川 <川筋の思い、一つに!!> [川]

                         夕日を浴びた笹尾川畔の菜の花:撮影L.T.2007年3月

菜の花が盛りを迎えた去る3月18日、「ホタル舞う、堀川再生に向けた講演会&討論会」が開催されました!! 堀川の沿い、緑豊かな折尾高校の体育館の約半分を埋めた参加者の熱心な意見交換と、識者・行政の方々からの「前向き」な取り組み姿勢に、希望を新たにする事が出来ました。

しかし、堀川は、思ったより危機に瀕しています。それは、遠賀川から洞海湾に至る三里12キロの工程が如何に複雑で、高い技術力を必要としたかということなのです。 私たちの祖先は、遠賀川の水量の季節変動、複雑な地形・水系を目の前にして、あらゆる知恵と技術を駆使して、しかも文字通り血と汗の結晶のような作品を184年もかけてつくり、その後も大切に維持してきました。それは微妙な計算とバランスの上に成り立つ、とてもデリケートな水流を持つ運河だったのです。いま、その堀川が元の姿に戻れるか、単なる排水溝となり忘れ去られて行くかの岐路にあります。

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金山川 <咲き誇る花の街づくり> [川]

堀川が洞海湾にそそぐ手前で、則松から流れてくる金山川と合流します。かつて、洪水と鉱害に悩まされ、陸の孤島といわれた則松地区が、多くに人たちの努力で、花にあふれる街として賑わいを取り戻しています。

昭和のはじめ、鉱泉が掘り当てられ、則松鉱泉と親しまれました。飲んで美味しく、沸かして体に良いと評判を呼び、湯場は賑わったそうです。その銘水も国策だった炭鉱開発により枯れてしまい、鉱害によって則松全体で2mも地盤が下がったのです。

則松を愛する人たちの早朝からの草取り、炊き出し、苗植え、それらの費用の捻出、たゆまない努力の上に咲き誇る一面のチューリップ・菜の花、そしてまもなく満開を迎える桜の並木。秋はまた一面のコスモスと、10余年の歳月を費やして、文字通り花を咲かせた街づくりの好例です。

単に花づくりの美化運動ではなく、家庭で出る生ごみを花の堆肥としたり、行政と連動して河川の改修を行い、優れた土木技術で鉱害と洪水の対策を行ったりしています。

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堀川へもどる <大膳堀と車返し> [川]

折尾大膳という地名があります。黒田長政の命を受け、堀川の掘削工事の指揮をとった、黒田藩の家老「栗山大膳」の大膳です。現代で言えばさしずめ、福岡県の土木部長さんでしょうか・・・

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堀川(3) 先人の技 [川]

中間の唐戸から少し下流に下った、堀川と曲川の合流点です。堀川はこの写真の左側に流れて行き、曲川は右のほうへ遠賀川と平行し、芦屋の手前で江川と合流します。堀川の勾配が曲川より急な為、単純に合流はできないのです。 今はご覧のように鉄の矢板(やいた)で堰き止められています。

さて、江戸時代の工事のとき、先達はこの問題をどのように解決したでしょうか?

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堀川(2) 唐戸ふたたび<中間の唐戸> [川]

中間の唐戸です。 こちらは県指定の文化財です。寿命(じめ)の唐戸よりは周りが整備されていて、こぎれいになっています。しかし、この石畳を手前側に下りて行くと…↓

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堀川(1) <寿命の唐戸> [川]

<撮影:M.O.>2003年1月

楠橋にある、寿命(じめ)の唐戸です。江戸時代 黒田三代183年にわたる大プロジェクト堀川運河の最終建設工区です。唐戸とは取水口で、ここから遠賀川の水を堀川に取り入れています。一度笹尾川(以前は真名子川)に入り、中間の唐戸、折尾を経由して洞海湾に注ぐ、全長12キロの大工事でした。1804年この唐戸の完成をもって、堀川の全区間完成となりますので2004年が開削200年となり、記念イベントも行われました。黒田長政が工事を開始して、今年で386年が経ったことになります。あと14年で工事開始400年記念ですね。

遠賀川と堀川の水位が違うので、パナマ運河のように段階に分けて水位を下げ、船が出入りできるような仕掛けがしてあります。 なかなかやりますね。 こういうことを江戸時代にやってのけた事に、自分たちの先祖を誇らしく思います。ただし、この唐戸は中間の方が先で、中間の唐戸を作るのに、備前の国にスパイを送り込み、吉井川の先例を観察して建設にこぎつけたそうです。

周辺の農民は、この運河の開通により米をはじめとした農産物の収穫も増え、大変な恩恵を受けています。また、明治以降は「川ひらた」による石炭の積み出しに大いに活用され、日本の近代化に少なからず貢献をした重要な運河です。

大工仕事としても土木遺産としても貴重で、昭和46年に北九州市の文化財に指定されています。それしにてももう少し、周辺を整備して先人の偉業をたたえてあげたいですね。いろいろな理由で堀川の水質は悪化し、全体に景観が悪くなっているところが多いですが、周辺の人々にとってはいまだに、世代を超えて心のよりどころになっています。そのため、これまで多くの方々の力で清掃・保存・修景・再生・活用され、今後の街づくりの重要な遺産として受け継がれようとしています。


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遠賀川(1) <福智山> [川]

今回は洞海湾から少し離れ、筑豊本線が中間駅を過ぎ、遠賀川を筑前垣生渡るところから福智山を仰ぎ見る景色です。

『---遠賀川。 この川の流域で、生まれて育つ者にとって、いつか、遠賀川は、慈母のような、暖かくて強い愛着を、その胸に植えつける。 それは愛から一つの信仰のようにすらなる。 川から生まれて、川に帰る---その宿命の中で、人々は、その精神をも、生長させて来たといってもよいのであった。  したがって、 ---遠賀川は、おれたちの命の川、生きるも死ぬるも、遠賀川で。 不識の間に、芽生えて来たこの観念は、川筋の人たちの骨となり、肉となり、血となっていることは、疑えなかった。』 (火野葦平「燃える河」より)


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